2017-12-01 第195回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
そしてまた、これもびっくりしたんですけれども、五、六年生は宮本武蔵の五輪書ですよ。そういうものを毎月毎月こういうふうにやって六年間やれば大きな財産になる。 私は、グローバル人材というのは、そういうものをベースにして、先ほど言いましたような英語教育、理数教育、ICT教育、こういうものをやるべきではないか、こんな思いがしております。
そしてまた、これもびっくりしたんですけれども、五、六年生は宮本武蔵の五輪書ですよ。そういうものを毎月毎月こういうふうにやって六年間やれば大きな財産になる。 私は、グローバル人材というのは、そういうものをベースにして、先ほど言いましたような英語教育、理数教育、ICT教育、こういうものをやるべきではないか、こんな思いがしております。
それは、自分は五輪書を読んだ、宮本武蔵の五輪書なんですけれども、これを読んで、日本には、柔道、剣道というふうに、スポーツをただのスポーツに終わらせないで、スポーツを通じて人の生きる道まできわめていく崇高な、非常に深い哲学、精神がある、これは本来、オリンピック憲章に書かれていることだけれども、そこまで達成しているエリアまではまだ行っていない、ぜひ日本から発信してほしいということを言われました。
それというのも、その方が、同じ名字ですが、宮本武蔵の五輪書を読んでおられまして、日本というのは、もう何百年も前から、武道をただの武術としているのではなく、まさに道、柔道、剣道というふうに、スポーツを人の道まで昇華している、極めている、スポーツを通じて、人生いかに生きるかという一流の生き方を目指している、これこそはまさにオリンピック憲章そのものの精神であり、これは、どこの国以上に日本が実現できるだけの
私もニューヨークにいたことがあるんですけれども、当時は宮本武蔵の五輪書、これが大ベストセラーになった。その背景は何かというと、日本の大変強い経済力。アメリカの企業がどんどん日本に買収されて、アメリカ人も日本企業で働かなくちゃいけない。
宮本武蔵の五輪書の中に、幅一尺は広いか狭いかという考え方が本に説かれています。一尺というのは三十センチということです。川幅の狭いところ、そして川底の浅いところに橋を渡して渡るときには、一尺、三十センチあれば十分であるということだと思います。有用の用と言うそうです。しかし、谷底のような川幅の広いところに橋を架けて渡すときには、一尺、三十センチでは危なくて渡れないと思います。
私は、観と見、これは変な話をしますが、宮本武蔵の五輪書の中には、観見二つの目付のことは、観の目を強く、見の目を弱く、見えないものを見なさいと。観音様の観という字ですね。世の中の音を見ると書いて、観世音と書いてございます。 ですから、私は、見えるものは見るな、それと同じように、どんなに損失があるかという先生の御指摘、それを認識して道路行政でも何でも進めていかないと諸外国から笑われる結果になる。
また、教科書がむずかしいということのために落ちこぼれが出てくるのではないかと思いますが、これに対して、瀬戸山文部大臣はこういうこともお好きかと思いまして、この間ある人から教わって宮本武蔵の五輪書というのを読みました。
武蔵の五輪書の中に、「剣術一篇の理にては剣術も知りがたし。剣の道をもってせば万事においてわれに師匠なし」ということばがあります。剣術一篇では剣術つかいにもなれないということば、私これこそほんとうの道ではなかろうか。ほんとうの道を求めるのでなければならないと思います。そういう意味で、大臣みずからも剣の人ですから、もっと性根を据えて、そうして、選挙期間中にも国民の声に肌で触れたわけです。